産まれてくる子どもにどんな「資産」を与えてあげれるのか問題
6月末に念願の子どもが産まれる予定であるため、富松は絶賛脳内子育てシミュレーション中ですw
さて、産まれてくる子には願わくば「経済的に困窮することの無い人生」を送ってほしいと思う一方で、そういった人生を歩ませてあげるためにはどうしたら良いのか日々考えている次第です。
考えれば考えるほど沼にはまるので、とりあえず思いついたことを殴り書いていこうと思いますw
教育の話にも踏み込むので難しいですよね・・・。
子どもにとって「幸せな人生」とは何だろう?
「幸せの形」や「成功」の定義は人によって様々です。
しかし、富松が学生の頃に漠然と思っていた(もしくは親世代に刷り込まれていた)「いい大学を出る」=「いい会社に入る」=「社会的な成功」=「経済的に豊かで幸せな生活が送れる」という方程式は20年くらい前にぶっ壊れて久しいです。
富松が学生の頃は、大学を出たら、知名度のある大きな会社に入社し、サラリーマンとして一生懸命働き、出世して年収1,000万円に達することは「ある種の成功モデル」として認識されていました。
しかし、実際に社会に出てみると以下の事態に気付くわけです。
- 教育は重要だが、「学歴の高さ」が「年収の高さ」を保障するものではない(大卒でも職に就けない人がいる一方で、中卒・高卒・大学中退でも起業して稼いでいたり、会社員以外の手段で会社員以上の年収になれたり、社会的に成功する道は意外と多い。)
- 知名度のある大きな会社への就職が高給取りの道とは限らない(コロナ禍の旅行会社を想像すると分かりやすいかもしれないが、会社員の場合、年収の高さは「業界」⇒「会社」⇒「個人の能力」の順で依存関係があるので、「個人の能力」が高くても、その「業界」や「会社」が儲かっていなければ、当然年収は高くならない。)
- 会社員でいると、そもそも税金取られ放題(節税の選択肢が全然無い。可処分所得が少なすぎる。)
現代では年収1,000万円でも手取りは720万円程度で、さらにここから各種税金(消費税、固定資産税、自動車税、酒税、たばこ税等々)が引かれ、物価もアゲアゲである事を考えると「成功モデル」でもなんでもないことが分かります。
しかも額面年収1,000万円ともなると労働強度も高くなるため、かかる負荷と得られる(手取り)報酬のバランスが合っていない(割に合わない)という始末ですw
少子化になるのも頷けますね・・・。
つまり、「経済的に豊かで幸せな生活」を得るためには、「当時考えられていた成功モデルをなぞる生き方では手に入らない」という事実に今更ながら気づくのです。
教育に力を入れること自体は正しいと思いますが、これからの時代、社会に出たタイミングで以下のポートフォリオを保有しておくことが「経済的に豊かで幸せな生活」を手に入れるための選択肢を広げてくれるのではないかと個人的に考えています。
- 教育・知識(本人の希望によるが大卒くらい?)
- 金融リテラシー
- 金融資産
- 本人が本当にやりたいこと(≒夢)
「教育・知識」に関してですが、富松の個人的な見解を申しますと、「可能であれば大卒」であった方がよいかと思います。
日本の大学で得られる知識を重要視しているわけではなく、「大卒」でさえあれば、海外で働きたいと思った時に「就労ビザ」を取りやすいというのが一つのポイントになるからです。
これから先の未来で日本企業がどうなるのか分かりませんが、「日本以外でも働ける」という選択肢はあったほうが良いかと考えています。
「金融リテラシー」の与え方は追々考えて行こうと思うので、まずは子どもの「金融資産」を作る点に関して深掘ってみようと思います。
どうやって子どもの金融資産を構築するか
(金融リテラシーが育っている前提ですが)子どもが成人するタイミングで「ある程度まとまったお金」を渡すことができる状況であれば理想的です。
しかしながら、正直言って、富松は現在の労働収入だけでは「ある程度まとまったお金」を子どもに用意してあげる余裕はありませんw(自分もまだFireできてないのにww)
なのでここは積極的に「投資の力」を駆使してなんとかしようと思っています。
以前、投資における原則は「長期」「分散」「低コスト」であると執筆いたしました。
とりわけ「長期」における投資行動は「複利」の効果を増大させるため、0歳から投資し始めたら結構とんでもないリターンが得られる可能性は高いと考えています。
例えば、富松の利用するSBI証券ではゼロ歳から証券口座を持つことができるので、子どもが産まれたらすぐに証券口座を開設し、毎月3万円を投資信託「SBI・V・S&P500インデックスファンド」に積立投資し続けた場合を考えてみます。
S&P500の年平均リターンは1957年に導入されて以降10.7%の成長をしています。
ここからインフレ率の3%を引くと、実質の成長率は約7%となります。
毎月3万円の投資を年リターン7%で(子どもが成人になるまでの)18年間投資し続けた場合を計算してみましょう。
投資元金:648万円
評価額推定:1270万円
ほぼ倍になってる!!
NISAは使えないので、この時点で利益確定した場合は税金が引かれ、実際の手残りは以下になります。
1,270万円 ー ((1,270万円 ー 648万円)× 20.315%) = 約1,126万円
150万円程税金で持っていかれますが、ここまでまとまった資産が出来ているのであれば、「大学に行く資金」にするなり、「何かビジネスをするための種銭」にするなり、「新NISAに切り替えて投資継続する」なり好きにすればいいんじゃないかなと思います。
さて、ここで気になってくるのが「贈与税」です。
一般的に年間110万円以下の贈与に関しては「非課税」となります。
そのため、毎年110万円を10年間贈与し続けると、合計1,100万円を非課税で贈与可能になっています。
ただし、毎年「決まった金額」を「決まった日」に贈与し続けると「元々1100万円を相続する予定のものを10回に分けて相続した。」とみなされ、1100万円−110万円=990万円が課税対象になることもあるようです。
この辺りは税務調査担当のさじ加減で変わるらしく、かなり曖昧なルールになっています。
なので、あえて「渡す金額や日付をズラす」とか、あえて「111万円贈与して、オーバーした1万円に対して毎年税金を払ったり」とか色々やってる人が多いみたいです。
親子間の贈与の場合、色々と特例措置があるので月3万円程度の金額で神経質になる必要はないかもしれませんが、いずれにせよ、「(非課税対象の)ルールに則った贈与をしている」という証拠を揃えて置いた方が後々面倒が無くてよいと思います。
子どものやりたいこと(≒夢)は大人になるほど重要かもしれない
「好きなことだけやって生きていく(食っていく)」という考えは耳障りがよく、仕事の理想形としてよく語られますが、これは夢物語というかお伽話の類と考えています。
この考えを元に成功している(と見られている)人の多くは「好きなことだけやって生きている(食っている)」わけではなく、「好きなことで培ったスキルを駆使して生きている(食っている)」というのが実態だと思います。
小学生が「将来就きたい職業」として安易にYouTuberを選んでしまうように、幼い子にとってこの違いは非常に分かりにくいと思います。
(子どもは「楽しい事やってお金が稼げるなら自分もそうしたい。」と思いがちですからね。)
これを果たして自分の子どもに説明し、理解してもらえるものだろうかと考えると、富松の苦悩は晴れませんw
ただし、「芸は身を助く」という言葉がある通り、「好きなことで培ったスキル」というのは存外、大人になってから社会的に成功するための「鍵」になるのは請け合いです。
なので、様々な体験をさせてあげて「子どものやりたいこと探し」は積極的にしてあげたいと考えています。
おまけ:経済的な豊かさを得るために貧乏経験は必要か?
子どもが経済的に豊かな人生を歩むためには、単に子どもにお金を与えるだけでなく、「子ども自身がお金をコントロールできる状態」になるのが王道だと考えています。
「お金をコントロールする」という技術は大人でも中々難しく、ある種ゴールに最も近いポイントなのではないかと考えます。
「お金をコントロールできる状態」になるためには「人生の中で一度は貧乏である期間」が必要なのではないか?という二律背反に悩む富松です。
日本を代表する大投資家「本田静六」大先生の著書「私の財産告白」でも以下のような記述があります。
人間の一生をみるに、だれでも早いか晩いか、一度は必ず貧乏を体験すべきものである。
つまり物によって心を苦しまされるのである。
これは私どもの長年の経験から生まれた結論である。
子供のとき、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。
その反対に、早く貧乏を体験した人は必ずあとがよくなる。
つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通り越さねばならぬのである。
だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。
ハシカと同じようなもので、早く子供のときに貧乏を通り越させてやったほうが、どれだけ本人のためになるかわからぬ。
まことに若いときの苦労は買ってもやれといわれているが、貧乏に苦労し、貧乏し抜いてこそ、人生の意義や事物の価値認識をいっそうふかめることができるのである。
貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打ちはわからないし、また堅実に、生活の向上をめざしていく努力と幸福は生じてこないのである。
本田静六著「私の財産告白」より
仰る内容は大変よく理解できますね。
富松は裕福ではありませんが、生活に困るほどの貧乏でもないため、「ガチ貧乏体験」を与えてあげることは難しいです。
そのため、子どもに対していかに「疑似的な貧乏体験」を作り出し、「お金に関して自ら深く考える機会」を与えるかがポイントになると考えています。
富松も幼少期に「ガチ貧乏体験」をしたわけではありませんが以下の漫画との出会いによって衝撃を受けたことは、今考えると幸運だったのかもしれません。
「貧乏」とは「お金が無いことにより、やりたいことができない。欲しいものが手に入らない。」という状態を指します。
これをストレートに実現してしまうと、子どもが本来得られたであろう体験が激減してしまい、目指すべきゴールから着地点がズレ始めてしまいます。
なので、例えば「本人がほしい玩具やお菓子が手に入らない」というところまでフォーカスを絞り、「限られたお小遣いの中でどうやりくりするか?我慢するか?」という点で頭を使ったり、富松のように物語を通じて何かを学んでほしいところではありますね。
これはもう少し先のカリキュラムになるので追々考えていこうと思います☆
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