芝桜と幸福の源泉
本日(4/24)、芝桜で有名な「羊山公園」に行ってきました。
明日から緊急事態宣言発令ということで、ギリギリ滑り込みな感じでしたが
(天気にも恵まれたこともあり)素晴らしい景観の中で、妻と共にさわやかで心地よい時間を味わいました☆
さて、この素晴らしい羊山公園を設計したのは一体誰なのでしょうか?
答えは本田静六という方です。
この方は「日比谷公園」や「明治神宮の杜」等の大規模な公園の設計・開発(改良)を手掛けられたことで有名な人なんですが、投資家の人達からすると「私の財産告白」の著者としての方が有名な人ですよねw
今回は
芝桜(羊山公園) ⇒ 本田静六 ⇒ 著書「私の財産告白」
という繋がりから著書「私の財産告白」内で語られている「人の幸福」をテーマにお話ししようとおまいます。
芝桜からだいぶ距離が離れた話題になりますw
人が幸福に感じる機会と保有資産額の関係性
富松もお気に入りの著書「私の財産告白」ですが、著書内で「二杯の天丼はうまく食えぬ」というエピソードが語られています。
- 本田静六は苦学生時代に叔父さんから天丼をご馳走してもらったことがあった。
- その時、「世に中にはこんなうまいものがあるのか」と感動した。
- 「いつかこの天丼を2杯食べてみたい」と日記に記す。
- 後年、海外留学から帰ってから実際に「天丼2杯」を試みた。
- 試した結果、食べきれなかったし、それほどうまくも感じなかった。
このエピソードに関して本田静六氏は著書内で以下のような見解に辿り着いたことを語っています。
この現実暴露の悲哀はなんについても同じことがいえる。
ゼイタク生活の欲望や財産蓄積の希望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても幸福は二倍にならぬし、十万円の財産に達しても、ただそれだけではなんらの幸福倍加にはならない。
いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろその生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。
つまりは、現在ある地位の高下によるものではなく、動きつつある方向の如何にあるのである。
したがって、大金持ちに生まれた人や、すでに大金持ちになった人はすでに坂の頂上にいるので、それより上に向かうのは容易ではなく、ともすれば転げ落ちそうになり、そこにいつも心配が絶えぬが、坂の下や中途にあるものは、それ以下に落ちることもなく、また少しの努力で上へ登る一方なのだから、かえって幸福に感ずる機会が多いということになる。
本田静六「私の財産告白」より
「1杯目のビールが一番うまい!」というのと似ていますねww
この考え方はダニエル・カーネマンの提唱するプロスペクト理論(感応度逓減性:かんのうどていげんせい)にも通じる話で、皆さんがこれまでの人生経験の中でも似たような経験をしているかと思います。
例えば、スタート100万円で株式投資を始めた人が「初めて10万円の利益を得た時の喜び」と、順調に「資産が1億円まで増えた後に、追加で10万円の利益を得た時の喜び」では、同じ「10万円の利益」であっても、圧倒的に後者の方が感じる喜びが小さくなるという話です。
社会人になって初めて貰った給料(初任給)やボーナス、初めて昇進して給料が増えた時の喜びというのは、その後も順調に年収アップしたとしても同じ大きさの喜び(幸福感)というのは段々と得にくくなってゆく(得られる幸福感が減衰していく)のです。
つまり、「資産額や収入の増加」と「自身の幸福感」はある程度の相関性はあるものの比例関係ではないということが分かります。(年収が2倍になっても2倍の幸福感を得られる訳では無い。)
「巨額の資産とキャッシュフローを有するだけのAさん」よりも、
- 貧しかったけど頑張って仕事して、認められて人並みに生活できるレベルで稼げるようになった
- 稼いだお金の一部を社会に投資することで社会の発展と共に自身の資産も拡大するようなった
- 稼いだお金で愛する人と結婚して幸せな家庭を築き、維持できるようになった
といったような、(総資産額はAさんより大きくなくても)進みゆく人生の方向が上向きに感じられるサクセスストーリーの中に身を置くBさんの方が、より多くの幸福を感じそうですね。
「進みゆく人生の方向」に隠されたトラップ
(金融リテラシーが無いのに)急に大金を持ってしまった人が、なぜ浪費に走るのか?という理由も、実は前述のお話(感応度逓減性)と関係があると思っています。
宝くじが当たった人にありがちなパターンですね。
なぜなら、たとえ大金を所有していたとしても、これまでと同じ生活を継続しているだけでは「大きな幸福」を感じることができないからです。
人間の心理はめんどくさいねw
そこで、手っ取り早く幸せを感じる手段として、
家や車や時計、高級家電、高級レストラン等々、「お金を使う(生活コストを上げる)ことで生活の質(QOL)を上げよう(=幸福感を得よう)」と考えて浪費に走りがちになるのです。
この消費行動自体は、経済にとっては正しい行動だと思います。
但し、「生活コストの上昇によって得られる幸福」というのは、「幸福感の持続性という観点」で考えると一時的なものです。
つまり、このやり方で幸福感を継続して得ようとするには生活コストの上昇を継続させる必要があるため、際限なくお金が必要となってしまうというトラップに気付かないといけません。
自分の収入が永遠に上がり続けるなら生活コストを上げ続けてもいいかもしれないw
つまり、自身の幸福を「生活コストの上昇」で支えるというやり方は、簡単ではあるものの継続性に難があるため避けた方がいいことが分かりますね。
幸せなお金の使い方
人は誰でも幸せになりたいと願います。
しかし、生活コストの上昇(自分にお金を使う行為)が「幸福感を得るという目的」において最適ではないのであれば、どのようなお金の使い方がよいのでしょうか?
実はこの疑問に対する回答は既に存在します。
ブリティッシュ・コロンビア大学のエリザベス・ダン博士の研究結果によると
「(金額に関わらず)他人の為にお金を使う方がより強く幸せを感じる」というものです。
なぜなら人間の基本的な欲求として以下が存在するからです。
- 関係性の欲求:誰か(周囲)と良い関係でありたい
- 有能性の欲求:誰か(周囲)の役に立ちたい
- 自律性の欲求:自分の行動を自分で決定したい
「他人の為にお金を使う」という行為は上記の3つの欲求を満たしやすいため、幸福感を強く感じるのだそうです。
これも自身の経験に照らし合わせると、中々腑に落ちる結論だと思います。
しかし、「他人にお金を使う」といっても使い方によっては得られる幸福感というのは大きく差が出る点には注意しないといけません。
例えば、「1万円を他人のために使って幸福感を得る実験」をするとします。
A:1万円で身近な人(妻や両親、友人等)が前から欲しがっていた「何か」をプレゼントする
B:1万円を募金箱に入れる
やってる事はAもBも「他人にお金を使う行為」なのですが、幸福感の強さでいうとAが大きいように思われます。
Aの行動によってもたらされる効果は以下の通りです。
- そもそも贈り物は既に関係性のある人との仲が良くなる(関係性の欲求)
- 「前から欲しがっていた物」を贈るので、自分の贈り物が相手にとって役立つことを実感できる(有能性の欲求)
- 自分で贈り物を選んで購入できる(自律性の欲求)
一方でBの行動によってもたらされる効果は以下の通り。
- 募金活動の人とはそもそも関係性が無い(募金したお金が使われる人とも関係性がない)
- 募金したお金の用途が不明瞭なので本当に役に立っているか実感しにくい
- 募金箱に入れた1万円の使い道は自分で決められない
といった感じで、Bの行為は前述した「3つの基本的な欲求」に直結しにくいのでAに比べて幸福感を得にくいことが分かります。
さて、「他人にお金を使う」という意味では「投資」も実はそれに当てはまります。
「投資活動」を「自分が金儲けをする手段」として捉えている人が多いですが(事実ではありますがw)、社会や技術が発展するための「種まき」の側面も併せ持つことを忘れてはいけません。
スタートアップの企業に投資したり、クラウドファンディングに投資することで新しいビジネスや商品が形になって世の中に出ていく事への助けになるのはもちろんのこと、既に上場済の大企業に投資(※)することも次の発展(社会・経済・技術)への「種まき」に繋がります。
※多くの人が株を購入して(株の需要増により)株価が上がれば、株の担保価値(信用力)が上がるので金融機関からの新しい技術開発のための資金調達が容易になるし、社債を購入することで直接的に企業へ資金を流すこともできますからね。
こんな感じで、投資した資金が大きく育てばもちろん幸せなんですが、投資した資金が社会や人の役に立っている事を認識すると、より幸せを感じることができます。(実際、富松は幸せというか満足感や充実感を得ています。)
投資とは「自分と他人が幸せになる手段」でもあるのです。
これは銀行にお金を寝かせているだけでは得られない感覚なので、少額でも(長期で)投資をはじめてみることをおススメします☆
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